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社交ダンスの歴史



Good morning from Tokyo!


折角、社交ダンスを始めたのですから、歴史の基礎をちょこっと調べてみました。

また、色々付け足せそうですが、ひとまず日本のダンス歴史の基盤だけ。
1883年
鹿鳴館時代と呼ばれた明治10年代後半に、カドリーユや、ウィンナーワルツと呼ばれたウイーンのダンススタイルが輸入されました。
日本で、富裕層を中心に欧米風のダンスが行われるようになったのは、大正7年で、鶴見の花月園にダンスホールが開設されてからだそうです。
そのころ、フランスのサロンスタイルの、アルゼンチンタンゴも日本に紹介されています。
1939年 
第二次世界大戦 ダンスホールは閉鎖が相次ぎました。
1945年 
終戦後の貧困で、ダンスには無縁となってしまったのですね。残念です。。
戦後は、進駐軍 (アメリカ人イギリス人軍隊)向けにダンスホールが開かれました。
若い男女の出会いの場として、ダンスパーティが流行し、ジルバやマンボなどのアメリカンスタイルダンスが流行りました。
和製ダンスである、ハマジルやカワジルというようなダンスも、日本で生まれました。
このころ、ダンス教室が増加します。
1970年代
ディスコ時代に入ります。

若者のダンスへの思考が自由になり、社交ダンス教室は、だんだんと国際的なスタイルに特化していきます。
このころは、戦後から続けている中高年者がダンス人口のほとんどでしたが、映画「Shall We Dance?」(1996年)のヒットなどをきっかけにして、若者にも向け、スポーツ的な一面も支持されてきています。
1990年代
サルサ到来!世界的に流行となったサルサダンスが日本にも浸透し始めます。ラテンダンスとして、メレンゲ 場茶―た アルゼンチンタンゴも人気になります。
これは、クラブダンスとしては、男女ペアのダンスの久しぶりのヒットとなり、若者を社交ダンスに戻すきっかけになりました。
ワルツなどの古流ダンスをメインに教えていたダンススクールも、ワールドスタイルを取り入れるようになり、2000年から教室が増えてきました。
現在では、ダンススクールや、ダンス練習場が増え、幅広い年代でダンス人口が広がっています。
現在の日本の競技人口は約160万人強で競技人口だけは世界一です!なんと。。
教室は日本全国で約3000以上あり、50分の個人レッスン料も、ダンス教師のランクD級で7000円~、C級で7500円~、B級で9500円~、A級で12000円~、SA級で14000円以上になっています。
が、実際は25分レッスンが一般的です。そしてこの級にも、団体によりレベルと名称が異なります。自分に合った団体探しからはじめてもいいのかもしれませんね。

あとは、グループレッスンならお値段もお手ごろですし、お友達も増えるので気軽で楽しくレッスンが受けられます。個人的には、グループレッスンから始めるのがお勧めですね。グループレッスンとサークルが、楽しい始め方だと思います。


日本の社交ダンス団体は、以下です。それぞれ特徴があって面白いです。
  • 日本ボールルームダンス連盟(JBDF)
  • 日本ダンス議会(JDC)
  • 日本プロフェッショナルダンス競技連盟(JCF)
  • 日本プロフェッショナルボールルームダンサーズ協会(JPBDA)
団体別の競技ダンス大会や団体の枠組みを超えた統一全日本ダンス選手権の競技ダンス大会があり、全英選手権(ブラックプール)などの国際大会へも出場しています。

世界にも色々な団体があり、派閥も起こっていたりするのですが、それぞれで共通する点は、どの団体も、社交ダンスを盛り上げたいと言う気持ちでいっぱいということですね!

今度は、もっと世界のダンス歴史について書きます。


ダンスって歴史はだいぶ古いですよね。音楽とともに生まれたはずですから。音楽とダンスは、人間の生活の基盤ともいえると思います。


では、Have a lovely day!



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